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【2025/05/01 14:44 】 |
黒田哲広
黒田 哲広(くろだ てつひろ、1971年11月23日 - )は、日本の男性プロレスラーである。北海道函館市出身。血液型B型。
目次 [非表示]
1 人柄・特徴
2 経歴
3 得意技
4 定番のセリフ
5 タイトル歴
6 入場曲
7 その他
8 関連項目
人柄・特徴 [編集]

筋骨隆々の体にオールバックのヘアー、細めの目が特徴。リングインの際はサングラスに「黒田3150(最高)」と書かれたバスタオルを下半身に巻きつけ登場する。
またプロレス界きっての色男で、性格の良さも随一で、観客に愛嬌を振りまき、特に女性の人気が高い。よくリングサイドに近い所に陣取る中年の熱狂的ファンが熱い声援を送る。必ず数人で押しかけ「黒田最高」のバスタオルを前面に掲げ過激な応援をするこのファン達は「黒田おばさん」と呼ばれ、アパッチプロレス軍・大日本プロレス等の興行に必ず出没している。
自らの左足を地団駄させたりして観客の手拍子を誘いリズムを作ったり、下記の様な「定番のセリフ」を頻発させ、場内の観客を自分のペースに巻き込むのが得意。特に場外に出ての“助走付きラリアット”(ハッスルの時には自転車に乗り助走する)は圧巻である。
プライベートではパートナーの金村キンタローの暴若無人ぶりをサポートする。ちなみに金村キンタローの事を「オヤジ」と呼ぶ黒田だが、実は年齢は1歳しか違わない。
かなりの酒好きで、女子プロレス団体NEOの井上京子が経営する「あかゆ」の常連客で、同じくNEOの「田村様」こと田村欣子などとは飲み友達である。
2006年7月に行われたアパッチプロレス軍ファン感謝デーのトークショーでファンから「彼女はいないんですか?」という質問に対し、稲松三郎から結婚したことを暴露される。本人は結婚したことを公表していなかった。週刊プロレスや週刊ゴングはこの件に関して一切触れず。しかし、のちにアパッチプロレス軍のモバイルサイト内の自身のブログにおいて「実はちょっとわけがあってずっとひとりで住んでいる」と綴っていたことにより、すでに前から別居(離婚?)していたことが発覚する。しかし、2007年11月に行われた松井幸則レフェリー主催のびっくりプロレスでの試合中のやり取りにおいて菊タローに私生活を暴露(?)され、試合後には本人自ら「来月(12月)、結婚式を行います」とリング上でカミングアウトした。
経歴 [編集]

PWCに入門し、ミスター・ヒトの指導を受け、1993年3月18日、愛知・露橋スポーツセンターの保坂秀樹戦でデビューを果たした。デビュー直後、同団体の行き詰まりから、保坂、戸井マサルらとともに、FMWに移籍する。大仁田厚率いる「ZEN」の若手エースとして活躍後、ベビーフェイスとヒールを行き来しつつ、サングラスをかけてリングに登場する「最高」のキャラクターが人気を呼ぶ。FMW末期はハヤブサとの2枚看板になった。
FMW解散後は、WEWを経由して現在アパッチプロレス軍に所属しつつ、数々のプロレス団体に参戦している。2002年当時の主戦場の一つZERO-ONEの火祭りに初エントリーし、誰もノーマークの中での何と準優勝(優勝は大谷晋二郎)を遂げる。2004年3月には自ら所属の冬木軍プロモーションのリングに於いてZERO-ONEの橋本真也との一騎打ちも実現した。
FMWと同じくエンターテイメントとしてのプロレスを掲げるハッスルでも、準レギュラーとして活躍中。2006年からは、老舗の新日本プロレスにもたびたび上がる一方、大日本プロレスでは、FMWで一時代を築き上げた田中将斗とタッグを結成(6人タッグのときは、金村キンタローも参加)し、関本大介 & 佐々木義人組との世代抗争に参加している。
2006年9月24日、黒田は自ら所属するアパッチプロレス軍の3周年興行において(於・後楽園ホール)敵対するたかし軍団に所属の越中詩郎との一騎打ちに備え、20年前のジュニアヘビー級の名勝負の再戦だという名目で、越中の好敵手であった高田延彦(当時は高田伸彦)にあやかり、高田の入場テーマ曲「トレーニング・モンタージュ」(ただし新日本所属時代の“青春のエスペランサ”と呼ばれた時代の高田には「疾風のライダー」というタイトルのオリジナル曲が存在し、この「トレーニング・・」を高田がテーマにしたのは、越中との名勝負の新日本プロレス所属時でなく、後の1990年代のUWFインターナショナル時代の話である)とサイドにUWFと書かれたレガースを着用し、トレーニングにもUWFばりのキックを多様に取り入れ、すっかり高田延彦になりきり、越中に合い対峙をしたが、その甲斐も無く敗れてしまった。(ちなみに黒田と高田は直接の接点が無いが、ハッスルにおいて高田総統率いる高田モンスター軍と、黒田が所属のハッスル軍とで抗争中(現在はモンスター軍に加入してくれと、盟友であるキンターマンこと金村キンタローと共に、クロダーマンというキャラで、往年のパーマンに似たマスクを着用して素顔をひた隠しにし懇願中である)であり、同じ会場には居るわけである)。2007年1月8日WEWヘビー級選手権で王者真壁刀義に挑戦するも敗北。
パートナーである金村キンタローとは相反し、自分から椅子や机を利用したりするようなファイトスタイルは無いが、場外乱闘は殆どの試合で見られる。後楽園ホールの試合では相手を必ず東側の観客席に追い込み、「東」の方向表示板に相手の顔面を打ちつけるのが名物となっている。
ハッスルにおいてはErica&マーガレットと組み6人タッグに臨む時が有るが(黒田以外のハッスル軍の男子レスラーもパートナーになる場合もある)ハッスルスーパータッグをこの二人が保持している時に6人タッグで黒田が登場した時に、Ericaが試合後のマイクで「私達の今度の挑戦者はイケメンとしか戦いません」とアピールしたところ、すかさず黒田が「何ッイケメン。俺じゃ駄目かな」と直訴したが「ウーン、黒田さん。チョット駄目かな」と Ericaに駄目出しを食らった。
アパッチ所属でありながら、猥褻事件で後に同団体を退団した金村キンタロー率いるXWFに全戦参加している。その為、金村との縁を切っていない事に対する批判が強い。
2009年、アパッチの解散とともにフリーとなる。 同年8月、以前準優勝(2002年)経験のあるZERO1の火祭り’09に久々に出場。Bブロック(黒田の他、田中将斗、崔領二、関本大介、マグニチュード岸和田)のなかで、1勝3敗で終了。但しその1勝は伸び盛りの関本から奪った貴重な勝利であった。
最近はかつての若さを前面に出すファイトよりは、第一線を退いた感じの円熟味を感じさせる感じである。自分の戦いというよりは、特に誰のといったわけではないが、若い人間の成長を見て喜ぶスタイルに移行しつつある。
得意技 [編集]

エルボー
ラリアット(左手)
シャイニング・ウィザード
本家の武藤敬司の模倣で、最初の投げキッスまで真似ているが、助走の時に歩数が合わないのか、かなり小走りでぎこちなさがある。
哲っちゃんカッター
哲っちゃんバスター
ジョニースパイクと同型
雪崩式ダイヤモンド・カッター
定番のセリフ [編集]

もう一丁
相手の体をコーナー鉄柱に両足がまたぐ様に滑り込ませ、黒田は場外に行き相手の片足を鉄柱に打ち付ける。最初の1発目は「○○最高!」と会場の地名を褒め観客を乗せた後に行い、2発目の前に「もう一丁」と観客に問い掛ける。3発目も同様に問い掛けた後に自ら「もう一丁、もう一丁……」とコールを煽った上で行う直前で鉄柱に打ち付ける動作をスン止めしエルボー・ドロップに切り替える。金村キンタローと組んでる時に、金村から4発目を要求する「もう一丁」コールがあった場合は、直前で鉄柱に打ち付ける動作を寸止めし、鉄柱に打ち付ける。
最高!
どうですか、お客さん!
This Is 哲っちゃんカッター!
相手がコーナーのトップロープに登った段階で、黒田が相対する格好でセカンドロープまで登り「This Is 哲っちゃんカッター!」と叫び(観客も唱和)相手の首をロープに打ちつけながら落下させる技。自らが雪崩式ブレーンバスターをくらいそうになるときによく用いられる。
This is 哲っちゃんバスター!
滅多に出さない(ZERO-ONEといったアウェーの試合では封印し、FMWやアパッチ自主興行などで限定して出していた。最近は封印している)
タイトル歴 [編集]

アジアタッグ 2003年10月10日後楽園ホールでのZERO-ONEリングにて、佐藤耕平・横井宏考(ROWDY)組より奪取。パートナーは金村キンタロー 第73代王者。
WEWシングル
WEW6人タッグ
世界ストリートファイト6人タッグ
入場曲 [編集]

STREET FIGHTER(“最高”ヴァージョン)
その他 [編集]

2001年に発売されたドリームキャスト用ゲームソフト「ファイヤープロレスリングD」でレスラーの声を担当。ゲーム中には黒田を模したレスラーも登場しており、そのキャラクターが発する「最高!」「どうですかー」は本人の声である。
特にこれと言った因縁がないのになぜかDRAGON GATEのドン・フジイとは深い対立関係である。この2人は毎回『これが最終決着戦だ!』と言うがシングルは2人ともやる気はなかった。しかし2007年6月5日のDRAGON GATE後楽園大会でフジイの試合に突如乱入。そして遂にDRAGON GATEの年に1度のビッグマッチである7月1日の神戸ワールド記念ホールで2人のシングルマッチが行われる。
最終決戦と銘打った試合でもドン・フジイとの完全決着はなかった。しかし、二人で黒フジタッグを結成し試合をしたこともある。
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【2010/12/29 18:15 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
外道 (プロレスラー)
外道(げどう、1969年2月20日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は高山 圭司(たかやま けいじ)。東京都武蔵村山市出身。
目次 [非表示]
1 人物
2 経歴
2.1 外道以前
2.2 外道として
2.3 新日本プロレス参戦、ジュニア戦線へ
3 タイトル歴
4 得意技
5 リングネーム
6 入場テーマ曲
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
人物 [編集]

デビュー以来一貫して「兄弟」こと邪道とのコンビで活動している。邪道とのタッグは後記するユニバーサル、FMWの一時期を除き、15年以上もほぼ断続的に活動しており、現存するタッグチームでは国内最長である。過去の参戦団体を見た場合、邪道と共にその団体を離脱すると活動停止となることが非常に多い。また、レスラーとしてのキャリアのほとんどをヒールとして活動し、邪道と共に過去さまざまなヒールユニットに在籍しているが、ヒールらしい外見とは裏腹に、アルコール類は一切たしなまず、トレーニング熱心であり、プライベートでは常識人のプロレスラーとして知られる。受身の技術が高く、オーバーリアクションとも取れる受けっぷりの良さで相手を引き立たせる術にも長けたレスラーである。
邪道に比べて喋ることが多く、邪道と連れ立って登場した場合、マイクアピールを行うのは大概外道である。邪道との区別は、背の低い方、入場時に頭にバンダナを巻いて出て来る方で、タトゥーを施しているのが邪道である。
邪道・外道のリングネームを考えたのは高山(外道)である。映画『仁義なき戦い』を見ていて、菅原文太の「あんクサレ外道が!」というセリフをもとに、邪道・外道と並べた。邪道は大仁田厚のニックネームと被るため、名付け親の本人は外道を選んだ。
経歴 [編集]

外道以前 [編集]
1988年、たけしプロレス軍団 (TPG) のオーディションに合格してプロレス入り。アポロ菅原に受身やプロレスの基礎を学ぶ[1]。当時のことを「練習生はかなり厳しいことをやらされると聞いていたので、練習に耐える練習をしていた。だからそれほど苦労は無かった」と後に語っている[2]。当初のリングネームはブラック・ウルフ。
1989年3月19日、オランダ・アムステルダムのエイデンホールにおける、モンキーマジック・ワキタ(現:スペル・デルフィン)戦でデビュー。その後、リングネームをブラック・アイドマンに改名しFMWに在籍していたものの、試合をすることはなかった。
1990年3月、ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。ブルドッグ・KTのリングネームでクーリー・SZ(後の邪道)と共に、タッグチーム『パニッシュ&クラッシュ(略称:パニクラ)』を結成。ロード・ウォリアーズのオマージュ・キャラクターのような出で立ちで活躍。同年9月1日に大宮スケートセンターで行われた全日本女子プロレスのブル中野対アジャ・コングの金網デスマッチをレフェリーとして裁いた。外道はアジャのリングアウト勝ちを宣言したものの、不自然な判定に物議をかもし、ファンからのブーイングを浴びる結果となった(ちなみにこの不穏試合をきっかけにノーレフェリーによる金網デスマッチの再戦が行われ、女子プロレス史に残る金網最上段からのギロチンドロップによる失神KO事件に繋がる)。11月17日、後楽園ホールで行われた大会でパニッシュ&クラッシュとしてモンキーマジック・ワキタ&MASAみちのく(現:ザ・グレート・サスケ)組と対戦、この試合でスーパーパワーボムを初披露し、わずか1分19秒でクーリーがMASAみちのくからピンフォール勝ち。後に、ブルドッグ"パニッシュ"KTと改名。一時、邪道とのタッグを解消し、パット・タナカ&ビジャノ3号と『バッドカンパニー』を結成し、敵対したことがあり、この時代に受身の達人と称されるパット・タナカと行動を共にしたことが、後の受身技術の向上に繋がる。外道は時折、ラリアットを受けた際に自らの体を木の葉のように回転させて受身を取ることがあるが、これはもともとタナカのオリジナル・ムーブである。
1991年4月、クーリーと共にメキシコ遠征に出発。グラン浜田に教えを請い、プロレスの幅を広げる[1]。同年11月に帰国し、ロス・カウボーイズを破りUWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座を獲得。
外道として [編集]
1992年11月、クーリーと共にフリーに転向。現在のリングネーム外道に改名し、再度、メキシコ遠征に出発する。帰国後はW☆INGなどのインディー団体に参戦。1993年11月2日に小田原駅前旧市営球場特設リングで行われた、金村キンタロー&中牧昭二 vs 邪道&外道のスクランブル・ファイヤー・デスマッチで高山秀雄(後の非道)がマット中央へ点火、その火炎の中へ邪道が金村にパワーボムを仕掛けて、金村に大火傷を負わせ長期欠場へと追い込む(ただしこれは、火の勢いが予想以上に強かった上、金村のシャツに染み込んだ油に引火してしまったことによるアクシデントである)。
1994年2月、ウルティモ・ドラゴンの誘いを受け、邪道と共にWARに主戦場を移してからは、冬木弘道、邪道と共に冬木軍を結成し、メジャー・インディー問わずに暴れまわる。この時代に冬木、阿修羅・原に鍛え上げられ、現在でも邪道と共に両者を心の師として仰いでいる[1]。この頃はまだ両者共肉体改造前で、小さめのTシャツにモンペ風のズボンという、同色、お揃いのコスチュームであった。同年4月16日、両国国技館で行われたスーパーJカップ1st STAGEに負傷欠場した折原昌夫の代役として出場、ベスト4入りを果たす健闘を見せる。
1995年12月13日、両国国技館で行われたスーパーJカップ2nd STAGEに出場。茂木正淑、ドス・カラス、ワイルド・ペガサスら強豪を次々と破り決勝戦にコマを進めるも、決勝で獣神サンダー・ライガーの雪崩式フィッシャーマン・バスターの前に敗れ、準優勝となる。
1996年、冬木の後を追うように邪道と共にWARを離脱。
1997年に冬木、邪道と共に冬木軍プロモーションを設立。2月、FMWマットに再登場してからは、邪道、非道、金村、ミスター雁之助らと「ブリーフ・ブラザース」というユニットを結成、リング上でコントを演じたりもした。3月29日、HARUMIドーム21で冬木軍プロモーションのプレ旗揚げ戦が、4月19日には大垣城ホール(冬木軍発祥の地)で冬木軍プロモーションの本格旗揚げ戦がそれぞれ行われ、冬木、邪道と共に参戦。12月には大日本プロレス所属の山川竜司&田尻義博組を破り、邪道と共にBJW認定タッグ王座を獲得。
1998年1月、山川竜司&田尻義博組に取り返される形でBJW認定タッグ王座から転落。
1999年7月31日、当時世界ブラスナックル・タッグ王座を中川浩二と保持していた外道はFMW後楽園ホール大会で同王座2度目の防衛に成功し、中川と共に、初代WEWタッグ王者に認定される。8月23日、同じく後楽園ホール大会で黒田哲広&大矢剛功組に敗れ王座転落するも12月11日、後楽園ホール大会でリッキー・フジ&フライングキッド市原&チョコボール向井組を下し、邪道&中川浩二と共に2度目のWEW6人タッグ王座を獲得。
2000年4月1日、横須賀市総合体育会館において、中川と共に冬木弘道&井上京子組からWEWタッグ王座を奪取。この時点で中川と共にWEWタッグ&6人タッグ王座二冠王となった。4月25日、渋谷ON AIR EASTで冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れWEW6人タッグ王座から転落するも、5月3日、博多スターレーン大会において邪道&中川浩二と共にWEW6人タッグ王者に返り咲き、中川と共に二冠王にも返り咲いた。しかし5月28日の後楽園大会でまたしても冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れWEW6人タッグ王座から転落。さらに同日、中川とのコンビ解散を理由にWEWタッグ王座を返還。タッグパートナーを邪道に変えて、7月14日、高杉市総合体育館で行われたWEWタッグ王座決定戦でH&黒田哲広組を下し、自身3度目のWEWタッグ王者となる。しかしわずか2週間後の7月28日、後楽園ホール大会でプロレスリング・ノア所属の井上雅央&金丸義信組に敗れ王座転落。8月28日、後楽園ホール大会で保坂秀樹&佐々木嘉則組の持つWEWハードコアタッグ王座に挑戦するも敗退。9月17日にはディファ有明大会でパートナーを邪道&中山香里に変更し、3度目のWEW6人タッグ王座獲得。9月21日、月寒アルファコートドームで行われた保坂秀樹&マンモス佐々木 vs 金村キンタロー&山川竜司 vs 邪道&外道の3ウェイダンスマッチ制し、WEWハードコアタッグ王座を獲得。邪道と共に、WEW6人タッグ&ハードコアタッグ王座の二冠王となった。10月12日、博多スターレーン大会でスプリーム&ホームレス・ジミーに敗れWEWハードコアタッグ王座から転落。
2001年1月7日、後楽園ホール大会で冬木弘道&黒田哲広組を破り、田中将斗と共に通算4度目のWEWタッグ王座を奪取。2度目のWEWタッグ&6人タッグ王座二冠王となるも1月27日、WEW6人タッグ王座を返上。2月、邪道、田中将斗、中山香里と「コンプリート・プレイヤーズ」を結成し、11日に邪道、田中将斗とコンプリート・プレイヤーズとしてのタッグで、WEW6人タッグ王座決定戦を冬木弘道&GOEMON&怨霊組と行いこれに勝利。4度目のWEW6人タッグ王座獲得、3度目のWEWタッグ&6人タッグ王座二冠王となるも、わずか10日後の2月21日に邪道、田中将斗と共にFMWを離脱。再度フリーへと転向し、WEWタッグ並びにWEW6人タッグ王座は空位となった。その後、フリーランスのユニット「コンプリート・プレイヤーズ」として新日本プロレス、全日本プロレス、ZERO-ONE、みちのくプロレスなど様々な団体に参戦。
新日本プロレス参戦、ジュニア戦線へ [編集]
邪道・外道としては大日本プロレス、格闘探偵団バトラーツなどのインディー団体を中心に参戦し、2001年6月、宇都宮大会より邪道と共にTEAM 2000のメンバーとして新日本プロレスに本格的に参戦。体重を落とし、ジュニアヘビー級にその主戦場を移した。この頃から邪道と共にプロレス界には珍しく科学的なトレーニングを取り入れ肉体改造を行い、筋骨隆々な肉体へと変貌を遂げ始める。きっかけはECW参戦時に外国人レスラーのプロ意識に感動したため[2]。同年7月20日、札幌ドーム大会で獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ組を破り、邪道と共にIWGPジュニアタッグ王者となった。さらに邪道とのタッグで、プロレス大賞の年間最優秀タッグ賞を受賞した。11月にはコンプリート・プレイヤーズとしての自主興行も開催。
2002年2月8日、岐阜産業会館で田中稔&成瀬昌由組を破り、IWGPジュニアタッグ王座歴代最多連続防衛記録を樹立。4月22日、博多スターレーン大会での柴田勝頼&井上亘組の挑戦も退け通算6度目の防衛を達成し、同王座歴代最多防衛記録を更新するも、5月2日、東京ドーム大会で獣神サンダー・ライガー&田中稔組に敗れ、王座転落。9月7日には邪道と組んでジョーニー・ローラー&シェーン組と対戦し、ローラーにスクールボーイで丸め込まれてフォール負け。新日本プロレス史上初の女性レスラーのフォール勝ちという記録の立役者となってしまった。試合後に外道は下腹部の痛みを執拗に訴え、「この痛みをローラーに分からせてやりたい。それができないのが悔しい」と述べた。11月4日、幕張メッセ大会でジュニアトライアスロンサバイバーにTEAM 2000 Jr.として金本、邪道とのチームで参戦。決勝戦で、獣神サンダー・ライガー&ヒート&タイガーマスク (4代目)を破り、優勝を果たした。
2003年11月1日、プロレスリング・ノアの日本武道館大会で杉浦貴が保持するGHCジュニアヘビー級王座に挑戦するも敗退。同月29日、金本が負傷のため、返上したIWGPジュニアタッグ王座をかけて宮城県スポーツセンター大会で田口隆祐&後藤洋央紀組と対戦。邪道と共に同王座2度目の獲得を果たした。
2004年3月12日、国立代々木競技場第2体育館においてカレーマン&アメリカン・ドラゴン組に敗れIWGPジュニアタッグ王座を失う。しかし6月5日、大阪府立体育会館大会でのリターン・マッチに勝利し邪道と共に3度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得し、ライガーらとC.T.U(Control Terror Unit)を結成。
2005年3月4日、後楽園ホール大会で金本浩二&井上亘組に敗れ王座転落するも5度の防衛を記録し、またしても長期政権を築いた。タイトルを失い、身軽になった二人は同年10月からメキシコCMLLへ遠征。
2006年7月8日、ツインメッセ静岡でエル・サムライ&田口隆祐組を破り、邪道と共に4度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年には天山広吉に対してトレーニング指導を行い注目を浴びている。
2007年5月1日、後楽園ホールで行われたWRESTLE LAND 9thに邪道と共に、WAR時代のようなお揃いのコスチュームで参戦し、近藤修司&"brother"YASSHI組と対戦。当時「コンブラ」の略称で人気を博し、ヒールのタッグチームとして活動していた2人と、国内最長を誇るヒールタッグチームの邪道・外道との対戦は両者共に感情向き出しで鮮烈を極めた。特に邪道は顕著で試合中、止めに入ったタッグパートナーの外道をも突き飛ばすなど、その暴走に歯止めが効かなくなる。結果は邪道がレフェリーへ暴行したことによる反則負け。ゴングが鳴らされた後も、なお暴れる邪道を外道は必死で止めていた。翌2日、後楽園ホール大会でディック東郷&TAKAみちのく組に敗れ王座転落。同年7月、C.T.U解散(公式的な解散は8月26日、邪道・外道の離反による解散という側面もあった)に伴い、天山率いるG・B・Hへ加入。天山が追放され真壁刀義が新たなリーダーとして陣頭指揮を取るようになると、それに追随してG・B・Hとして活動を続ける。
2008年9月21日、神戸ワールド記念ホールで行われた武藤敬司 vs 真壁刀義のIWGPヘビー級選手権試合では、セコンドのG・B・H勢が試合に介入し退去させられたものの、外道が一人で残っており武藤、全日本プロレス勢をさらに襲撃、見かねた星野勘太郎から鉄拳制裁を受ける。このことをきっかけに星野との抗争が勃発し、12月7日、大阪府立体育会館で行われたNO LIMIT(内藤哲也&裕次郎)vs 邪道&外道のIWGPジュニアタッグ選手権でも、NO LIMIT側のセコンドについた星野を執拗に外道が攻撃。試合終盤、邪道がレフェリーにクレームをつけている所へ星野がステッキで外道を、鉄拳で邪道をそれぞれ制裁したことでさらに因縁は深まった。一連の星野との抗争に決着をつけるべく12月22日、後楽園ホール大会において、ストリート・ファイト エニウェアフォール・マッチで星野とのシングル戦が組まれ、パンフレットの対戦カード欄に押すハンコを星野の額に押しつけるなど、いつも通りのヒールファイトを見せるも結果は外道のピンフォール負け。これによりこの抗争は一応の決着を見た。12月26日には、後楽園ホールで行われたPREMIUMの第5回大会で邪道、田中と共に自然消滅していたコンプリート・プレイヤーズを一夜限りの再結成として復活させ、同じく再結成された狼群団と対戦した。
2009年3月から椎間板ヘルニアのため長期欠場。同年4月、矢野通の裏切りによってG・B・Hが空中分解した後は、矢野に追随する形で新ユニットCHAOSを結成。8月7日から開催されたG1 CLIMAX 2009に参戦したかつての同士、田中のセコンドに邪道と共に着く。8月10日の田中将斗 vs TAJIRIの一戦で邪道がレフェリーの気を引いてる隙に、田中を救出すべく竹刀を持って試合に介入するも、逆にグリーン・ミストの餌食となった。同年8月30日、後楽園ホールにて邪道、外道デビュー20周年記念興行を開催し、それに伴い復帰。邪道と共にメインで登場し、プロレスリング・ノア所属の金丸義信&平柳玄藩組と対戦。邪道が平柳を下し、邪道と共に有終の美を飾ったが、全日本参戦時にタッグを組んだこともあった金丸との因縁が勃発。10月3日、ノアの大阪府立体育会館大会で金丸義信&鈴木鼓太郎組が持つ、GHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦するも金丸にフォール負けを喫した。
12月2日、試合中に金本のキックを食らいKO負け。試合後は担架で運ばれて退場。脳震盪のため4日に予定されていたIWGPジュニアタッグ王座を賭けたタイトルマッチは中止となった。12月22日に開催されたスーパーJカップ5th STAGEに参戦。1回戦でDDTプロレスリング所属の飯伏幸太とシングル初対決。外道クラッチで飯伏を下し、「これがプロレスの真髄だ!!」とのコメントを残す。翌23日に行われた2回戦でDRAGON GATE所属のYAMATOと対戦するも、スリーパーホールドによるレフェリーストップ負け。
2010年2月14日、上記のように負傷のため機会を失っていたIWGPジュニアタッグ選手権への挑戦が改めて行われる予定だったが、1月31日の試合でケニー・オメガが放ったラ・ケブラーダが邪道を直撃。まともに食らった邪道が昏倒しレフェリーストップ負けとなり試合後も担架で退場。後日検査の結果、頸椎捻挫と診断されシリーズも全戦欠場。
タイトルマッチはまたもや中止となったかと思えたが、後日の本人のコメントにて「最高のパートナーを呼び寄せた」とコメント。代役パートナー「X」を立て挑戦することが決定した。また、パートナー「X」は当日の試合にて姿を見せる。
タイトル歴 [編集]

新日本プロレス
IWGPジュニアタッグ王座 : 4回(第7代、11代、13代、17代)(w/邪道)
最多戴冠回数、最多連続防衛、最多通算防衛記録を保持。
ジュニアトライアスロンサバイバー優勝(w/金本浩二&邪道)
WEW
WEWタッグ王座 : 4回(初代、第5代、6代、10代)(w/中川浩二x2→w/邪道→w/田中将斗)
WEWハードコアタッグ王座 : 1回(第4代)(w/邪道)
WEW6人タッグ王座 : 4回(第2代、6代、10代、11代)(w/邪道&中川浩二x2→w/邪道&中山香里→w/邪道&田中将斗)
FMW
世界ブラスナックル・タッグ王座 : 1回(第21代)(w/中川浩二)
世界ストリートファイト6人タッグ王座
WAR
WAR認定インターナショナルジュニアヘビー級王座(IJ王座) : 1回(初代)
WAR認定インターナショナルジュニアタッグ王座(IJタッグ王座) : 1回(初代)(w/邪道)
WAR認定世界6人タッグ王座 : 1回(初代)
大日本プロレス
BJW認定タッグ王座 : 1回(第3代)(w/邪道)
UWA
UWA世界6人タッグ王座
UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座 : 1回(初代)(w/邪道)
NWA
ロッキーマウンテン・レスリング認定ミッド・ヘビー級王座
プロレス大賞
2001年プロレス大賞 年間最優秀タッグ賞(w/邪道)
得意技 [編集]

直線的なパワーファイトを見せる邪道に比べて、巧みな反則攻撃や華麗なテクニックで試合を展開していく。「レフェリーのブラインドを突いて、ルール内で反則攻撃を行うのが本当のヒールである」という悪の美学を持っている[2]。
スーパーフライ
トップロープからのフロッグスプラッシュ。この技で試合が決まることが非常に多い。
飛ぶ際に、「スーパーフライ!!」と叫んでから飛ぶことが多い。
外道クラッチ・外道クラッチII
外道のオリジナル技で、現在では他選手もコピーしている。
コンプリート・ショット
正面から相手の首に腕を回し、足をかけて後ろに倒れ、顔面・胸部をマットに叩き付けるリバース河津落とし。一時期決め技になっていたが、最近は繋ぎ技として用いられる。
TEAM 2000時代には師であるGOKU-DOや総帥の蝶野正洋にも伝授された。
トラース・キック
クローズアップされることは少ないが、要所で使用している。
コンプリート・ショットを決め技としていた時期は下記チン・クラッシャーと共に、その布石として用いられた。
チンクラッシャー
カウンターのマンハッタン・ドロップからこの技に繋げ、さらにDDTに素早く繋げる連携を時折見せる。
急所蹴り
主にバックを取られた際に使用。そのタイミングは神業とも称される。
杖攻撃
ピンチになった際、セコンドやパートナーがレフェリーの気をそらしてから、入場時に首からぶら下げて所持していた杖での攻撃。
リングネーム [編集]

高山が現在、過去に用いたことがあるリングネーム
外道(現在も使用中)
ブルドッグ"パニッシュ"KT(当時はブルドッグを思わせるアンコ型の体形だった)
ブルドッグ・KT
ブラック・アイドマン(ブラック・ウルフから改名したが、この名前では試合をしていない)
ブラック・ウルフ(最初のリングネームだが、国内ではこの名前は使われていない)
入場テーマ曲 [編集]

Sharp Dressed Man / ZZ Top
Whassup Dawg?
Caboose / Sugar Ray
【2010/12/28 19:01 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
キング・ファレ
ファレ・シミタイトコ(Fale Simitaitoko、男性、1982年1月8日 - )は、トンガ王国のプロレスラー。新日本プロレス所属。ラパハ出身。血液型O型。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 関連項目
4 外部リンク
来歴 [編集]

11人兄弟の8番目という大家族の中で育ち3歳からラグビーを始める。6歳の時、一家全員でニュージーランド・オークランドに移住。ラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)ジョン・カーワンに憧れ同国の名門大学へ進学。卒業後は徳山大学ラグビー部監督の紹介により、2002年、同大学へと進学した。その後チームの中心として活躍し中国四国地区代表チームへ幾度も成し上げた。
大学卒業後、2006年4月に株式会社サニックスに入社し福岡サニックスブルースの一員となるも、2年という短期間で退団。その後、堪能な語学力を活かし、英会話教師として働いていたが、ラグビー時代からの友人でありトンガ出身の大相撲力士南乃島の誘いで2009年5月、新日本プロレスの入団テストを共に受ける予定だったが、南乃島はこれをドタキャン。厳しいメニューをこなし見事合格を勝ち取った。
6月より練習生としてトレーニングを積み、一般公募していたリングネームから「キング・ファレ」と名づけられ、2010年4月4日に中西学戦でデビューし敗北を喫した。
得意技 [編集]

サモアンドロップ
ファイヤーマンズキャリーの要領で相手を担ぎ、後方へ体重を浴びせながら倒れ込む。
タックル
T-SHOCK
リバースフルネルソンの体勢から相手を肩口に担ぎ込み、マットに自らの膝をついて背中や腰へ衝撃を与える。
【2010/12/28 19:00 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
金本浩二
金本 浩二(かねもと こうじ、男性、1966年10月31日 - )は、日本のプロレスラー。兵庫県神戸市出身。新日本プロレス所属。大阪芸術大学環境計画学科(2004年度より環境デザイン学科)卒業。愛称は阪神タイガースの同姓である金本知憲にちなんで「アニキ」。
後に「新日本の喧嘩番長」と言われる程ハードヒットな打撃技を特徴とし、現在もジュニアヘビー級の選手として活躍中。
2000年以降になると「アニキ」の異名で熱狂的ファンがつくまでに公私共に慕われた。
目次 [非表示]
1 経歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 入場テーマ曲
5 その他
6 外部リンク
経歴 [編集]

学生時代(大阪芸術大学 柔道部所属)よりプロレスラーに憧れ、小学6年から柔道を経験。栗栖トレーニングジムで半年間トレーニングを積み、1990年6月に入門。11月7日に和歌山・岩出町立町民総合体育館での小原道由戦でデビュー。当初から「生涯一ジュニア(ヘビー)」を宣言する。
1992年に「3代目タイガーマスク」に抜擢されるが、自身のスタイルとアクロバットを主体とするタイガーマスクとのギャップに悩み、1年もしないうちに覆面を脱いだ。 その後は米国遠征を経て心機一転。タイガーマスク時代に磨きを掛けた蹴りと空中殺法にラフ殺法を織り交ぜ、開花。1995年にはIWGPジュニア、UWAジュニアの2冠王者となった。
1997年頃になると、よりハードヒットな打撃やラフ殺法といったケンカファイトに磨きを掛け始める。この金本の一貫した激しいファイトスタイルや試合内容が徐々に新日ファンの支持を集めていき、1999年~2000年頃にはジュニアという枠を飛び越え、女性を中心に新日レスラーの中でも屈指の会場人気を誇るようになる。この頃には金本が入場時に女性ファンから多くの花束を貰うのが定番になっていた。
2003年11月3日の村上和成戦で負傷。2004年はG1 CLIMAXにも初出場した。
2005年12月、現在の新日本に対しての極度の不満や問題を感じつつ、試合を続けていたことを告白。井上亘を巻き込む形で、2か月近く会社と揉め続けたが結局は残留した。
2006年5月3日、福岡国際センター では、第49代目IWGPジュニアヘビー級王座であるタイガーマスクをファルコンアローで破り3年ぶり5度目のIWGPジュニアヘビー級王座に君臨。しかし5月から6月にかけて行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニア XIIIでは、タイガー、井上亘に敗れ4大会ぶりに決勝トーナメントに進めなかった。8月にはG1 CLIMAXに出場し、初めて決勝トーナメントに進出。準決勝で全日本プロレスの小島聡に敗れ決勝進出はならず。
10月8日にベスト・オブ・ザ・スーパージュニア初優勝を遂げた稔とIWGPジュニアヘビー級王座を賭け対戦し、アンクルホールドで見事タップを奪い防衛に成功。G1 TAG LEAGUEでは棚橋弘至とタッグを組んで準優勝という戦績を収めた。
2007年2月18日、両国国技館においてジュニア選手として史上初となるIWGPヘビー級王座に挑戦。互角の戦いを繰り広げるも最後はドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール負けを喫した。
2009年2月12日にDRAGON GATEに乗り込みB×Bハルクに勝利を収めると3月22日に土井成樹が所持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦するも、マスキュラーボムで沈んだ。
5月6日、プロレスリング・ノアへ獣神サンダー・ライガーと共に乗り込み金丸義信、平柳玄藩組と対戦。自らを仲本工事とわざと名前を間違える平柳をアンクルホールドでギブアップを奪い勝利。6月に行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアではライガー、田口隆祐、タイチ、飯伏幸太らから勝利を収めBブロックを1位通過し、決勝戦ではプリンス・デヴィットに変型アンクルホールドで勝利し、V3を達成。7月20日にIWGPジュニアヘビー級王者であるタイガーマスクとベルトを賭け対決するもデストロイ・スープレックス・ホールドで敗れた。
12月にSUPER J-CUP1回戦でフジタ"Jr"ハヤトと対戦。激しい打撃戦を制し2回戦進出を果たすも、田口隆祐に敗れベスト8に終わった。
2010年5月8日、SUPER J TAGにエル・サムライと共にエントリー。決勝で田口、プリンス・デヴィット組との激闘を繰り広げ、優勝。同時に第25代IWGPジュニアタッグ王座に君臨。7月19日に同タッグチームと初防衛戦を行ったが、サムライがピンフォールを奪われ、同王座に陥落した。
得意技 [編集]

アンクルホールド
最近の主なフィニッシュ技。状況によりスタンディング式とグラウンド式を使い分ける。試合を決める際には、もう片方の足もロックして、動きにくくして極める。
変形アンクルホールド
相手の両足を変型の裏4の字状(リバースのナガタロックI状)に固めてからアンクルホールドを極める技。2009年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアから使用し続けている。
タイガー・スープレックス・ホールド
3代目タイガーマスク時代にタイガーマスクの定番ムーブメントとして習得。以降、投げ技のフィニッシュムーブとして定着。クラッチが初代タイガーマスクと同じで、相手の両腕をチキンウィングに固めたあと、両手の平を背中に当てるのが特徴。最近は膝の怪我の為大一番でしか使用しない。
ローリングセントーン
コーナー付近に横向きに相手をうつぶせ状態で寝かせ、リング内からコーナー2段目のロープに飛び乗り、振り向くように前方宙返りしながら背面でプレスする。新人の頃から使っている定番ムーブ。
ファルコンアロー
相手をブレーンバスターの体勢で持ち上げ、上空でホールド。前方開脚しながら尻餅を付くようにツームストーン・パイルドライバーの要領で広げた自分の股の間に相手の後頭部から背中を前方に叩き付ける。もとはハヤブサの開発した必殺技で、フィニッシュの形が鏃(やじり)に似ていることから名前が付けられた。オリジナルのファルコンアローと違って相手の首を固定している腕と反対の腕はタイツではなく太腿の部分を持つことで威力を増す工夫がされている。
ムーンサルトプレス
金本の場合、高く飛び上がり両手を大きく広げる空中姿勢の良さが特徴。その反面相手に避けられやすく、両膝の怪我が深刻化して以来はここ一番でしか披露しない。しかし飛んでいる間の弧の綺麗さは天下一品である。
ローリングソバット
3代目タイガーマスク時代にタイガーマスクの定番ムーブメントとして習得。ロープワークの最中など、試合の流れを変える時に使うことが多い。
スピニングレッグロック
3代目タイガーマスク時代にタイガーマスクの定番ムーブメントとして習得。形としてはスピニング・トーホールドと同じだが、独特のスピード感で回転しシットダウン気味に膝を折りながら繰り出すため、見た目の華麗さ以上にキツイ技。
顔面ウォッシュ
コーナーに座り込んだ相手の顔面を靴底で何度もこすり上げる。ダメージそのものより相手に屈辱感を与えるのが目的の技。元々はかつての盟友でありライバルだった大谷晋二郎の定番ムーブ。締めは滞空時間の長いドロップキックになることが多い。大谷の新日本離脱に伴い技を継承した。
IVニーロック
四の字に組んだ自分の脚に相手の片足を挟み、テコの応用で足首を極める関節技。2007年2月のIWGPヘビー級王座に挑戦した際に使用。
コーナーニーパッド
コーナーに押し込んだ相手の頭を押さえつけて逃げられない状態にし、その場飛びの要領で膝を相手の顔面に打ち付ける。勢い余って自分が場外に転落することもある。
シュミット式バックブリーカー
ムーンサルトの繋ぎ技として使用する。金本の場合シュミット式に捕らえておいてそのままマットに落とすのが主流となっている。
フロント・スープレックス
金本の場合、走ってきた相手に見舞うカウンター式を得意とする。
ウラカン・ラナ
金本の柔軟性を活かした固め技。時々不意にカウンターで使用する。アンクルホールドの繋ぎ技としても使用したことがある。
雪崩式リバースフランケンシュタイナー
通常の雪崩式のリバースバージョン、相手は背中を向けているので、体が回りすぎず脳天から落ちる危険な技。一時期使っていたが、危険すぎるためか現在ではこの技をまず使わない。
各種キック技
デビュー後にキックボクシングジムに通い習得後取り入れる、若手時代から使っており当時は前田日明に顔つきが似てると言われ「前田二世」と呼ばれていた。
獲得タイトル [編集]

新日本プロレス
IWGPジュニアヘビー級王座:5回(第23代、25代、33代、43代、50代)
IWGPジュニアタッグ王座:4回(第5代、10代、14代、25代)
パートナーは田中稔、獣神サンダー・ライガー、井上亘、エル・サムライ。
ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア 準優勝:5回(1997年、1999年、2003年、2004年、2008年) 優勝:3回(1998年、2002年、2009年)
最多決勝進出記録保持者であり、2010年現在もこの記録は誰にも破られていない。この輝かしい実績から「ジュニアのカリスマ」という異名を持つ。
G1 TAG LEAGUE 準優勝:2回(2006年、2007年)
パートナーは棚橋弘至。
SUPER J TAG 優勝(2010年)
パートナーはエル・サムライ。
プロレスリング・ノア
GHCジュニアヘビー級タッグ王座:1回(第12代)
パートナーはタイガーマスク。
UWA
UWA世界ジュニアライトヘビー級王座
UWA世界ウェルター級王座
入場テーマ曲 [編集]

BRING IT BACK (ZIN & MASASHI)
ボーカルはZIN、コーラスでMASASHIが歌っているが、金本自身のファンクラブイベントで「MASASHIと一緒にオレも歌っている」と語った。
JAGUAR'08(春畑道哉)
ジャンクション 〜旋風〜(N.J.P. UNIT)
Let's Go Tiger(HOT LEGS)
タイガーマスク時代に使用。
その他 [編集]

現在、金本がしゃがれたガラガラ声なのは、人気、実力共に彼の全盛期であった90年代後半から2000年にかけての度重なる激しい試合の影響(高岩竜一による喉元への逆水平チョップ等)で喉が潰れてしまったためである。
長い間、独身貴族であったため女性人気が高いが、それでいて男性ファンも多い。かつては各会場で金本に向かって大声で名前を叫び上げる女性(通称「金本女」)がいた。
矢沢永吉の大ファンであり、入場時には彼を真似して首からスポーツタオルをぶら下げて入場している(矢沢もアニキと呼ばれているため、金本は自分がアニキと呼ばれるのも満更でないらしい)。またTUBEのファンでもあり、毎年G1 CLIMAXの時期になると入場曲がTUBEの楽曲に変更される。
天山広吉のことを本名で「山本さん」と呼ぶ(近年はブログなどで「天ちゃん」と呼ぶことも)。デビューは金本の方が先だったが入門は天山の方が1か月早かったためである(逆に天山は「金本さん」と呼ぶ)。
抗争時に年寄り呼ばわりしていたエル・サムライとは、実は同じ年齢である。他にも佐々木健介、小川良成、小橋建太、中西学、高山善廣、ウルティモ・ドラゴンなど、出生数の少ない丙午生まれ(早生まれの小橋、中西を除く)であるにもかかわらず金本と同学年で活躍するレスラーは多い。
ウルトラマンや仮面ライダーをはじめとする特撮ものや映画関連のフィギュア・DVD等を好みで収集している(本人は自ら「オタク道」と語っている)。
プロレスラー志望ということで、大学在学中は食堂で大盛りにしてもらうなどの優遇を受けていたという。
多くのプロレス団体が自前のバスで移動しているが、金本は巡業時のバスでの移動が苦手の模様で、しばしばリング移動用のトラックに乗車したりなどの別行動を行っている。
【2010/12/28 18:59 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
岡田かずちか
岡田 かずちか(おかだ かずちか、男性、1987年11月8日 - )は、日本のプロレスラー。愛知県安城市出身。新日本プロレス所属。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 入場テーマ曲
4 関連項目
5 外部リンク
来歴 [編集]

学生時代は野球と陸上競技に打ち込み、陸上では短距離100メートル走で愛知県大会1位を記録する。憧れていたプロレスラーになるために、16歳でウルティモ・ドラゴン経営のプロレス学校、闘龍門に13期生として入学。
2004年8月29日、メキシコ・アレナ・コリセオにおけるネグロ・ナバーロ戦でデビュー。同年12月のヤングドラゴン杯で1回戦で松崎俊也選手、2回戦でフジタ"Jr"ハヤト選手、決勝戦で大原はじめ選手を下し、歴代史上最年少優勝を飾った。
2007年7月22日、『ウルティモ・ドラゴン20周年記念興行』に参戦し、獣神サンダー・ライガー、ミラノコレクションA.T.と組みTAJIRI、折原昌夫、大原はじめ組と対戦。試合に敗れた後、「今日をもって闘龍門を卒業し、新日本プロレスに入団します」と挨拶。卒業証書が手渡された。
同年8月26日の「LAST OF C.T.U」興行、内藤哲也戦でプレデビュー。
2008年4月12日、蓮田市総合市民体育館での石狩太一(現:タイチ)戦でデビュー。
同年5月の 『NEW JAPAN × Zepp "SMASH!"』では、試練の5番勝負に挑戦(第1戦:後藤洋央紀、第2戦:中邑真輔、第3戦:田口隆祐、第4戦:獣神サンダー・ライガー、第5戦:金本浩二)。全敗で終わったが、トップレスラー相手に物怖じしないファイトを見せ、翌年の2009年1月4日、東京ドームに第0試合で初参戦した。
同年5月5日、プロレスリング・ノアとの対抗戦に大抜擢され、後藤洋央紀と組み杉浦貴、青木篤志と対戦するも惨敗。さらに翌日5月6日、新日本プロレスでの試合を終えた後天山広吉と共にプロレスリング・ノアへ初参戦。1日2試合というハードスケジュールをこなし小橋建太、伊藤旭彦組と対戦。しかしこの試合も敗れてしまった。6月20日、ノアとの対抗戦で初のシングルマッチ。相手はGHCヘビー級王者の潮崎豪。追い込む場面もいくつか見られたが、最後はゴーフラッシャーで敗北。対ノア戦を3連敗という結果に終わった。
8月15日、G1 CLIMAXにおいて、グリーンミストで反則負けを繰り返すTAJIRIに対し「G1をなめている」と対戦を要求。翌8月16日に対戦カードが組まれたが、グリーンミストを使われること無く惨敗。
10月12日、“蝶野正洋25周年特別興行 ARISTRIST IN 両国国技館 ”では小林邦昭、グレート小鹿、グラン浜田、藤原喜明らベテラン選手も参戦した時間差バトルロイヤルに混じって参戦。最後に残ったスーパー・ストロング・マシンと一騎打ちとなり、見事優勝を果たした。しかし同月行われたG1 TAG LEAGUEでは後藤洋央紀とのタッグチーム“GTIII”として初参戦するも全敗という不本意な結果で終わった。
2010年1月19日にTNAへの無期限武者修行が発表された。
1月31日に棚橋弘至との壮行試合を最後にTNAに渡った。本人は「バケモノになる!」と話した。
得意技 [編集]

ジャーマン・スープレックス・ホールド
変形大外刈り
カウンターで使用することもある。
ミサイルキック
ドロップキック
長身のため、非常に高さがある。
ネックブリーカー・ドロップ
入場テーマ曲 [編集]

Kick it, that makes funk me
【2010/12/28 18:59 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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