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【2025/04/29 11:49 】 |
スタン・ステイジャック
スタン・ステイジャック(Stan "The Man" Stasiak、1937年4月13日 - 1997年6月19日)は、カナダ・ケベック州モントリオール出身のプロレスラー。本名はジョージ・スティピッチ(George Stipich)。日本では「スタン・スタージャック」と表記された。
第5代WWWF世界ヘビー級王者として知られる。息子のショーン・ステイジャックもプロレスラーであり、WWEやWCWで活動した。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 日本での活躍
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

1958年に地元のモントリオール地区でデビュー。カナダ各地を転戦し、1965年にはカルガリーでドン・レオ・ジョナサンからNWAカナディアン・ヘビー級王座を奪取する[1]。同年より太平洋岸北西部をサーキット・エリアとするPNW(Pacific Northwest Wrestling)に進出し、マッドドッグ・バションを破りパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を獲得[2]。以降、キャリア末期の1980年代までPNWを主戦場に活動し、看板タイトルである同王座には通算6回載冠した[2]。
1970年はオーストラリアにも遠征し、キング・イヤウケアからIWA世界ヘビー級王座を奪取[3]。1972年にはテキサスのダラス地区に参戦してブラスナックル王座を獲得するなどヒールのラフファイターとしてのステイタスを高め[4]、1973年よりニューヨークのWWWFに登場する。
WWWFではグラン・ウィザードをマネージャーに悪名を売り、チーフ・ジェイ・ストロンボーやトニー・ガレアら人気スターを撃破、ブラックジャック・ランザと結託してアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦した[5]。そして1973年12月1日、フィラデルフィアでペドロ・モラレスを破りWWWF世界ヘビー級王座を獲得[6]。9日後の12月10日にMSGでブルーノ・サンマルチノに敗れ短命王者に終わったものの、モラレス政権から第2次サンマルチノ政権への「橋渡し役」を担ったことで、彼の名はプロレス史に永久に刻まれることとなった[7]。
その後も各地で活躍し、五大湖地区ではザ・シークと流血戦を展開。トロントでは1975年にジャック・ブリスコ、1976年にテリー・ファンクのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している[8][9]。1977年にはWWWF王座返り咲きを狙って新王者スーパースター・ビリー・グラハムとも対戦し[10]、1978年はニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座にも挑んだ[11]。本拠地のPNWでは、若手時代のロディ・パイパーやリック・マーテルとも激闘を繰り広げている。
1980年は久々にダラス地区に登場し、ブルーザー・ブロディを相手にブラスナックル王座を争う[4]。その後はPNWに定着し、ベビーフェイスに転向してバディ・ローズやロン・バス、ザ・シープハーダーズと抗争。1982年12月にはビリー・ジャック・ヘインズをパートナーにタッグ王座を獲得している[12]。同団体ではカラー・コメンテーターも兼任していた。1984年に現役を引退し、トロントでセキュリティ・ガードに転身した。
1997年6月19日、心不全により死去[13]。60歳没。
日本での活躍 [編集]
初来日は1966年12月、東京プロレスの旗揚げ第2弾(および最終シリーズ)となる『チャンピオン・シリーズ』に外国人エースとして参戦。アントニオ猪木のUSヘビー級王座(10月の旗揚げシリーズで猪木がジョニー・バレンタインから奪取したタイトル)に連続挑戦した。再来日となる1969年3月の国際プロレス『ワールド選抜シリーズ』では、ビル・ロビンソンのIWA世界ヘビー級王座に挑戦している。
1973年2月にはクラッシャー・スタージャック名義で全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ結集戦』に3度目の来日。しかし、ブルーノ・サンマルチノ、ハーリー・レイス、ボボ・ブラジル、パット・オコーナーら大物が参加した同シリーズでは目立った活躍は果たせず、同年12月のWWWF王座奪取は関係者を驚かせた[14]。
翌1974年4月、「元WWWF世界王者」という肩書のもと、新日本プロレスの『第1回ワールド・リーグ戦』に参加。外国人選手の招聘ルートがまだまだ脆弱だった当時の新日本にとっては大物中の大物であり、東京プロレス以来の猪木との再戦も注目された。公式戦では予選リーグを通過し決勝リーグに進出したが、戦績は振るわなかった(星野勘太郎とジート・モンゴルを下し、キラー・カール・クラップとは引き分けるも、猪木、坂口征二、マサ斎藤、ジ・インベーダーに敗退)。新日本には1979年2月の『ビッグ・ファイト・シリーズ』にも来日しており、タイガー・ジェット・シンともタッグを組んでいる。これが通算5回目の最後の来日となった。
得意技 [編集]

ハート・パンチ
相手の心臓部めがけて拳を叩き込むパンチ攻撃。オックス・ベーカーがリング禍を起こしたことで知られる。後にブライアン・アダムスも使用。
ショルダー・クロー
アトミック・ドロップ
ベアハッグ
獲得タイトル [編集]

WWWF
WWWF世界ヘビー級王座:1回
PNW
NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:6回
NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:8回(w / マッド・ラシアン、マイティ・アーサス、ハル佐々木、トニー・マリノ、ダッチ・サベージ、プレイボーイ・バディ・ローズ、ビリー・ジャック・ヘインズ×2)
スタンピード・レスリング
NWAカナディアン・ヘビー級王座(カルガリー版):3回
スタンピード北米ヘビー級王座:1回
NWAビッグタイム・レスリング
NWAブラスナックル王座(ダラス版):2回
NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / キラー・ブルックス)
その他
NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版):1回(w / マンマウンテン・キャンベル)
NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):2回(w / ダッチ・サベージ)
NWAブラスナックル王座(アマリロ版):1回
IWA世界ヘビー級王座(オーストラリア版):1回
NWF北米ヘビー級王座:1回
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【2011/01/06 19:53 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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